はみ出し日記

Twitterに載らない長文の意見や考えをまとめる際に利用します

除染最前線:富岡町にて

 去る3月24日(土)、一回分だけ余った青春18切符を使い切るべく福島へ行ってきました。(4回分は熱海周辺に行っていました。不思議な土地です。いずれ報告するかも)

 

2011年の東日本大震災とそれに伴う福島第一原発メルトダウン、建屋の水素爆発。

テレビニュース、再現ドキュメンタリー、映画、新聞、Twitterで福島について様々な情報を7年間見続けてきました。

でも、やはり自分の目で見ておくべきだと思ったので行きました。目的地は富岡町。昨年4月に帰宅困難地域を解除されたばかりの場所であり、JR常磐線終着です。

 

富岡町ってどこ?

富岡町まで行くこと」だけ先に決めていた私は、時刻表以外にあまり下調べせずに出発しました。その結果いろいろと思い知ることになります。

 

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まず遠い。

JR最寄り駅から目的の富岡駅まで終始18切符が使えるのは良いのですが、距離がかなりあります。四国基準で言えば高知の中村駅から徳島駅くらいの距離がありました。

結果朝4時半に起きて到着は10時。18切符を使わないと片道電車賃8000円近くかかります。普通に行くにはちょっと金と時間がかかりすぎる距離ですね。
それでも休日という事もあってか、一眼レフを携えたお兄さん、おじさんらが数人富岡駅で下車していました。

 

あとは放射線。今年のNHKで放送していた震災特集で同地から中継等行っていました。よってあまり気にせず行ったのですが、駅に着くといきなり線量計がありました。

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単位はμSv/hと健康に影響を及ぼすとは考えられないほど低い値で、これを示す意味があるのか分かりません。特に気にする人もおらず一応やってます程度なのかも。

 

とはいえ2012年11月の調査では約9μSv/hと5日居れば通常一年で浴びる放射線量に到達するかなりの汚染地帯だったようです。(単純に乗算しただけなので内部被ばく等は考慮していません)

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放射性降下物の半減期がどれくらいなのかは知りませんが、線量だけ見れば比べ物にならないほど低下しています。除染はかなり効果を出しているように思えました。

 

 

ただし最初にも述べた通り、富岡町は期間困難地域を解除されたばかりの土地であり町の北東部は未だに除染作業が完了していません。

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こちらが現在の期間困難地域(2018年3月27日時点)

見てわかる通り第一原発に近い双葉町大熊町はほぼ全域が帰還困難地域です。

JR常磐線の終点が富岡駅になっているのもこれが理由で、この区間代行バスが出ているようでした。

 

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こうした事情により北に位置する浪江町との間は立ち入りが依然禁止されています(一部例外有り:後述)。当該地域との境目にはパトカーが巡回している他、道によっては高いバリケード、監視員、監視カメラ等が設置されており、38度線のような状態でした。

 

 

○除染地域を歩く

 まず富岡駅を降りて目に飛び込んできたのは駅の東側。海岸にかけての光景です。

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見事に何もない。

津波の影響をかなり受けたようで、工事車両が盛り土をせっせと行っていました。

海まで歩いていこうとしたのですが、海岸線全域が工事中で立ち入り禁止。

一面コンクリートなので鳥もほとんどおらず、気味が悪いほど静かな場所でした。

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詰まれたウレタンパック。除染に伴い剥がされた表土等が入っているとみられます。

付近にはこのパックを大量保存しているとみられる巨大なテントもありました。

 

 

 

 このあたりで海岸線は諦め、期間困難地域との境界へと向かいます。

 

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おそらく踏切があったとみられる場所。遮断機類は一切なく、線路の向こう側にはフェンスがあり、実質的に通行止めの状態です。この線路は富岡駅の北側にあるため、列車は通りません。 レールが真赤に錆びていました。

 

こんなところに献血カーが来ている!と思ったら

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内部被ばくの検査カーでした。こんな車見たことない。誰も受診していませんでした。

道を歩いている人もほとんどおらず、とても静かです。

 

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かつては原子力発電所について扱った博物館だったようです。現在は一般立ち入り禁止。中庭のタイルは除染目的か全面割られていました。

 

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こちらはもう少し進んだ境界線近くの個人宅?です。

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2015年のgoogleストリートビューと比較すると分かるんですが、15年時点では庭の半分ほどが砂地で覆われていました。除染で砂地が殆ど剥がされて、代わりに砂利が敷かれたようです。除染という行為自体、景観を破壊するという諸刃の剣なんだと気付かされる場所は他にも多々ありました。

 

 

除染や廃炉作業に必要な物資が膨大なためか、都市部や田舎では見られない規格外サイズのトラックも目にしました。こちらは40tの牽引トラックです。

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そして廃墟も多い。田舎に潰れたパチンコ屋があるのは珍しい事じゃないんですが、気味が悪かったのは二枚目の店舗。

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二階右側面にある縦開きの窓が開いているのが分かるでしょうか。経験則なんですが、窓が割れている廃墟はあっても、窓が「開いている」廃墟は珍しい。取るものも取らず逃げ出した6年前の様子が想起されて怖くなりました。

 

 

○「この先帰宅困難地域」

 そして辿り着いた街の北東部。帰宅困難地域です。監視員より右側が立ち入り禁止地区。非常にあっさりした境界線です。

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一方こちらは別の場所。監視カメラが設置され明らかに通行止めといった感じです。

スマホのカメラでは望遠が難しかったので写真はありませんが、境界線付近の建物は瓦がはがれたままだったり、屋根に穴が空いていたりと、震災の影響が今なおはっきりとみられるものが多くありました。

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そして北へと続く国道6号線。常磐線代行バスはこの道を取って北へと向かいますが、窓が閉められるタイプの自動車以外の通行が禁止されています。当然歩行者である自分も進めるのはここまで。ある種の「地の果て」です。

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www.youtube.com

車載カメラによる動画を見ると、当該地域では途中下車できないようバリケードが無数に張り巡らされているようです。

 

 

○震災復興は成ったか

昨年4月に帰宅困難地域が解除された富岡町では、自宅へ戻る住人も一部いるようです。実際道を歩いていると、家の前で団欒する住人の方々がいらっしゃいましたし、地域のスポーツセンターでは野球をする男性グループも見かけました。

とはいえ依然空き家はかなり多く、長年の人口不足に伴い、野生動物による被害というかつては無かった問題も発生しているようです。長年の避難は地域コミュニティを深く傷つけてしまったように見えました。

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また除染は終わったと言っても、町全体が復旧されたわけではないようです。

歩道橋の他、道路の陥没注意を呼び掛ける看板は各所で見られましたし各種店舗もほとんどが閉鎖したままです。神社など文化施設の復旧もかなり時間がかかるものとみられます。

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こうして考えると、従来富岡町に住んでいた方々が富岡の再建に尽力するのと同時に、今後復興関連事業に携わる労働者の方々がこの町を経済的に支えていくことは容易に想像されます。全く立場の違う2種の人々が共に生活する町として今後、除染や廃炉完了までの数十年を過ごしていくことは復興というより明らかな町の変質です。

 

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(駅のコンビニでの品ぞろえ、ラインナップに偏りが感じられる)

原発事故がもたらした福島の諸地域は決して事故前の状態には戻らないということを、肌で感じることとなりました。

 

 

と同時にこの地域の「当たり前」が非常に見慣れない、異常なものであったことも忘れないように書いておきたいと思います。

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空き地に汚染土の入った袋が大量に置かれていたり、特定の地域に入ることが出来なかったり。テレビで見慣れている光景だったはずなんですが、実際に目にするとやはり異様です。とても異様です。やったわけではありませんが、(おそらく)道を歩いているだけでパトカーに乗せられるというのはとんでもない場所ですよ。帰宅困難地域付近では戦時下を部分的に体験してしまったようなショックを受けました。見たつもり、分かったつもりというのは恐ろしいですね。

 

 

 

 

 

あと非常に気になったことが一つ。

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(汚染度を補完していると思われる白テントの建物、超でかい)

津波によって大量の死者を出し、未だに盛り土が終わらない海岸地域は最も人の寄り付かない場所でしょう。平坦且つ住民の反対が無い広大な土地という汚染土を一時保管するにはうってつけの場所だと思います。

しかしこの場所にもう一度津波が来たら汚染土が流出してとんでもないことになりますよね? 

私は地質学者ではありませんが、先の熊本地震で大規模な揺れが2度繰り返し発生するという事例がありました。地震がどのような周期で発生するか完全には分からない以上、可能ならばもっと山奥に移動するのが得策のように思います。

(無論そんな金も時間も土地もないから一時保管施設として定めているのでしょうが)

 

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以上富岡町の様子がとても衝撃的だったので、部分的ながら出来る範囲で文章にしておきました。

富岡での戦時下はまだ続いています。それだけは絶対に忘れてはいけないように思います。

雨の降る街―Rain World というゲームについて

期末レポート以降呆けていたら、全く文章が書けなくなっておりました。

訓練もかねて購入して半年ほど放置したのち、最近クリアしたゲームについて少し書きます。

 

今回紹介するのは、Steamで発売されているRain World というPCゲームです。

store.steampowered.com

 

 

 

○購入まで

とそのまえに、このゲームに至ったいきさつについて。

そもそもの始まりはツイッターで見たこちらの動画でした。

www.facebook.com

 

非常に短い動画で、ピンクの肉塊のようなものが飛び跳ねていることしかわかりません。ハッキリ言って意味不明。でもどこか惹かれるものがあり検索したところ、ブラウザでプレイできる簡易ビートマシンであることが判明。

Adult Swim - Limp Body Beat

本格的に音楽やったことのある人には子供だましかもしれませんが、BPMの設定やノーツの配置が直感的にできるのが楽しくて、しばらく遊んでおりました。画面を踊り狂う謎の3Dモデルも好きな部類のシュール具合です。サンプリング源やモデルを変更できるのも良かった。

そしてこんな調子のゲームをもっと作っているならタダで遊んだ分買ってみようかと、手を出したのがRainWorld。Steamでの評価が非常に高く、値段も手ごろだったので買ってしまいました。

 

○RainWorldについて

 

こうして買ったRainWorld、主人公であるSlugcat(公式名はナメクジ猫ですが、自分は白いのでハンペンと呼んでいました)はゲーム開始直後、家族と離れ離れになります。仲間を探すべく、そして荒廃した都市で生き延びるべく彷徨い歩く、そんなゲームです。

特徴は精細なドット絵、そして高い難易度です。

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(右下がSlugcat)

 

高難易度の要因は食事、そして情報不足です。

 

食物連鎖が重要なテーマである今作において、主人公は世界を救うエリートではなく強者からつけ狙われるエサでしかありません。自然界でままあるように、敵の攻撃は一撃で致命傷になります。俗にいうヲワタ式です。よって基本的に敵とは戦わずに進んでいくことになります…一本道でなければ…

 

食事

逃げ回っているだけでは済まず、Slugcatも食べなくてはいけません。

なぜなら一定時間が経過すると題<Rain>の通り雨が降ってくるからです。

最初は小降りの雨はすぐに「滝」となり、所定のシェルターに避難しないと死亡します。このシェルターに入るには一程度の満腹度が必要なため、食事が不可欠なのです。

…が初見ではフィールドの何が食べられるものなのか分かりません。

 

情報不足

ゲーム序盤で簡単な操作説明はされますが、アクション全体の2割ほどしか教えてくれません。後は自分で操作しながら探っていくことになります。

オープンワールドなのでどの道に行けば正解というのがありません。しかしある一定のルート以外は著しく進行が難しくなるため、進んだ先でエンディングが見られるかは運です。(なお開始してすぐにラストダンジョンへ進むこともできますが、エンディングは見られませんし、帰り道が尋常でない難しさで一度詰みました。)

 

とまあかなりの難易度です。。また死にゲーなので基本はトライアンドエラーなんですが、DARKSOULSシリーズにあるような「レベルを上げる」という救済手段がありません。全編を通してSlugcatは全く強くならないので、技量と運、知識によって道を拓いていくしかないのが辛くもあり面白くもあるところなのでしょう。

 

私も当然のように詰まり、しばらく放置していたのですが知らぬ間にアップデートでEasyモードが追加されており、有志作成のmapを見ながら何とかクリアしました。

 

○感想

画面切り替えた先に敵がいて即死、焦って落下死、中立MOBに突き落とされて時間切れ

エサだと思ったら敵で感電死、息継ぎしたと勘違いして溺死、暗闇で突然死(敵がいる)

プレイしている間は、理不尽な死に方にかなりストレスフルでした。

 

しかしエンディングへ至る道程があまりにも美しく、全てを許しました。

と同時にRainWorldが「廃墟を彷徨い歩くゲーム」ではなかったことに気付きました。

 

 

(ここからネタバレあり)

 

○エンディングについて

Slugcatはシェルターで休憩するたびにカルマレベルというゲージが上昇していきます。

 

弱い生き物を殺し、食べながら進んでいくと業が深まっていくという具合です。

そしてラストダンジョンを進むには最大まで業を深める必要があります。

RainWorld各地にいるオブジェを巡り、上限を超えてカルマレベルを上げた

ラストダンジョンの最奥には金色の湖がありました。

 

(この先文章で読んでも何のことかさっぱりだと思うので、プレイ予定が無い方は

 動画を見た方が早いと思い、先駆者の動画を貼らせていただきました)

 

 

www.youtube.com

(この動画では13分頃からラストダンジョン最深部)

 

 

全てがドロドロに溶けあったような金色の湖を潜っていくと、

爆音とともに巨大な蛇のようなものが泳いできます。

蛇に突かれ出てきた紐のようなものに引っ張られるslugcat。

「ああここで世界蛇に吸収されるのが、輪廻転生のイメージか」

と思ったものの、抗うslugcatは拒否されたかのように放り出されます。

 

暗闇を泳いでいると集まってくる無数のslugcat達。

光へと進んだ彼(彼女?)を待っていたのは巨大な木。流れるクレジット。堂々の完。

 

自分は専門外なのですが、仏教の悟りが”輪廻を外れること”なのだと聞いたことはあります。蛇とのやり取り・カルマレベルを上げるため各地を巡ったことから妄想するのは、RainWorldが「解脱を目指す巡礼の旅」のゲームだったのではないかということ

 

声を発さないSlugcatが何を考えているのか分からない以上確かなことは何も言えませんが、悟りによって殺す殺されるの世界からの脱出ができたのだとしたら、これ以上ない綺麗なEDのように思えてなりません。

f:id:pyroxenehillgate:20180323014232j:plainそう考えれば最後に出てくる巨大な木は悟りの先にあるという全宇宙との合一、その比喩に見えてこないでしょうか。

 

 

 

 

 

ソ連出身作家が描く「民主主義の絵」

 

突然ですがこの絵をみてください。

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何とも奇妙な絵ですね。

一見すると曼荼羅のように見えますが、宗教的な要素がほとんど見られません。

背景は不均質に塗られた紫色が覆い、枠の一部にはアフリカ的な文様が見られます。

中央にいる人物は平安風/写実風な2つの顔を持ち、

武骨な腕がヴァイオリンを真っ二つにしたようなオブジェを貫通しています。

さらに駄菓子のようなものを握りこちらに歩いてくる様子。

暗い場所で子どもが見たら泣き出しそうです。

 

 

 

 

 

ではもう一枚。こちらはどうでしょうか。

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水面を思わせる水色の下地に蔦やハスの葉が描かれています。

少し絵画に詳しければ、

クロード・モネの連作「睡蓮」に似ていると感じるかもしれません。

でもよく見ると逆さまになった子供たちが、薄水色で描かれているのがわかります。

右下から動物を思わせる顔がじっとこちらを見ていることにも気が付くでしょう。

 

 

 

この二枚の絵はロシア出身でニューヨークで活動している芸術家、

「コマール&メラミッド」によって2003年に描かれました。

それぞれ、

「MOST UNWANTED PAINTING」、「MOST WANTED PAINTING」

という題がついています。

「最も好まれない絵」「最も好まれる絵」とはどういうことか。

 

 

 

芸術において最高のものを目指すとなるとイデア論に飛躍しそうですが、

彼らはもっと現実的な手段を取りました。

二人は大衆が参加する多数決によって絵画のあらゆる要素を決定する、つまり

アンケート調査でテーマ性や使用する色、描くモチーフなどを選び、

その結果誰もが好む絵画を生み出そうと試みたのです。

 

 

そして完成したのが最初に上げた二点の絵です。

あれらは2003年、日本でのアンケート調査の元抽出した要素を集めて二人が描いた

「最も好まれない絵」と「最も好まれる絵」だったのです。

 

※曰く"好まれる絵"には、人気であった

 「モネの絵」「青色・緑色」「やわらかい曲線」「ふぞろいな模様」「淡い色合い」

 「すっきりした絵」「子どもたち」「人に飼われた動物」「いわさきひちろ(作家)」

 などの要素を総合して描かれているようです。

 一方"好まれない絵"には、不人気だった

 「宗教的な要素」「有名人の顔」「ピカソ」「キュビズム様式」「アフリカ美術」

 そして色「金・えび茶・青緑・藤色」がコラージュされ完成したようです。

 

 

ですが自分の個人的な感想からすると、

前者はともかく後者が好きな絵とは言いづらく、「モネまがい」にしかみえません。

皆さんはどうだったでしょうか。

 

 

 

 

 

このシリーズは日本以外でも行われており、

例えば欧州諸国は、WANTED:水面に人々と木 UNWANTED:抽象画 

というかなり似たタイプの絵に仕上がっていました。

比較すると日本は両者共にかなり異色であり、そこが面白いところでもあります。

 

また全体の総意が最高の選択にはならないという、

民主主義の欠点を突きつける作品でもあります。

絵画への出力という最終的な判断を個人的な「二人の作家」が行っているという点も、

代議制民主主義を反映した皮肉と見て取れるでしょう。

 

 

 

 

ヴィタリー・コマールとアレクサンドル・メラミッドはモスクワに生まれ

美術教育を通じて社会主義リアリズムの技術を叩きこまれた後、

アメリカのポップアートに触発され、新たな作風を目指したアーティストです。

彼らはプロパガンダ芸術を揶揄した「ソッツ・アート」の旗手となり、

祖国での公的作品出品会を追放され、アパートでの展示を行っていました。

 

アメリカでマスプロダクトの揶揄として生まれたキャンベルのスープ缶を

物資不足のソ連にはスープ缶の”広告しかない”、とボロボロのスープ缶広告を制作

或いは

一人の人間でありながら大衆の憧れの的・記号と化したマリリン・モンロー

ソ連風に翻訳してスターリン

といった具合で過激且つ広範な分野の作品を生み出してきたようです。

 

 

「MOST WANTED ○○」シリーズはその一環として生み出されました。

(なおこの発想は二人が幼少期の頃活躍していた絵本作家、セルゲイ・マハルコフが手掛けた作品をモチーフにしたものでもあります。この作品の中で主人公はすべての動物から要望を聞き誰もが好む絵を描こうとしますが、完成した絵は誰からも振り向かれないというオチです)

 

”SONG”も制作されており、youtubeにて聴くことができます。

完成した曲自体は無意味なようにも思いますが、

なんとなく人がどんな曲を好む/嫌うのかが分かります。

 

www.youtube.com

 

(出典:コマール&メラミッドの傑作を探して 淡交社 2003年より)

 

芸術嗜好の多数決に関する問題点として、芸術が分かる人・わからない人の差について

言及したブルデューの『ディスタンクシオン』を少し読んだので、

この話にも触れたかったのですが、ダレたのでまた今度に。

 

 

 

『岡本太郎✖建築』展を見て

概要

川崎市岡本太郎美術館にて7月2日まで開催中の企画展

岡本太郎×建築』展を先日見てました。

その感想を含めて、今回の記事では赤瀬川原平磯崎新を中心に

1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博について書いています。 

 

戦後間もない大分県、ある一軒家にて隣の部屋をのぞき込む少年がいます。

彼の名は赤瀬川克彦。夜尿症がなかなか治らない気弱な少年でありました。

 視線の先には5つ年上の兄と語らう青年がおります。

彼の評判は耳にしていました。

付近の画材店を拠点にグループ「新世紀群」を創設したとか。

学業にも秀でていて学校での成績がとんでもなく良いのだとか。

赤瀬川にとっての磯崎は頭が良く、美術にも関心のある理想的な青年だったようです。 

 

腸炎の治療と伊勢湾台風を乗り越えた赤瀬川は 22歳なっていました。

先輩に呼び出され、東京で彼は前衛芸術集団ネオ・ダダの一員になり、

年一の読売アンデパンダン展(以下アンパン)に作品を出品するようになります。

更に本展を通じて知り合った高松次郎中西夏之と共にハイレッド・センターを結成。

様々な活動を行っていましたが、芸術で生計を立てるところまでは当然行きません。 

 片や一足早く上京した磯崎は東大の建築科に在籍していました。

学部を卒業した彼は、丹下健三の研究室へと進学します。

 

1964年ハイレッド・センター最後のパフォーマンスが、東京銀座で行われました。

この『首都圏清掃整理促進運動』においてメンバーは白衣に着替え、

舗道の植え込みやガードレール、タイルなどを雑巾などで清掃しました。

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 当時の東京は高速道路、新幹線の整備に加えて大規模な都市改造が行われています。

理由はもちろん東京オリンピック。傍から見れば珍妙かつ執念じみた掃除を通じ、

美化されていく街に対する違和感を赤瀬川は示したのでした。

加えて同年、千円札を模した自身の作品が違法ではないかとの裁判が始まります。

オリンピック一色の世論を尻目に、法を通じた国家との対決へと向かっていくのです。

 

対して磯崎の指導教官丹下は、オリンピックにてその名を一躍有名にしていました。

メインの会場の一つ「代々木国立競技場」の設計を任されたのです。

つり橋のように渡されたワイヤーを用い、天井を上から吊るすという独創的な設計は

 数度の改修工事を経た現在でも、当時の形のまま残されています。

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時は流れ1970年、赤瀬川は最高裁に出廷していました。

千円札裁判における最終上告の結論が、そこで発表される予定だったのです。

結果は棄却。6年に渡る裁判が有罪という形で決着しました。

 

この頃になると赤瀬川と共にアンパンに出品していた作家たちも、

ニューヨークへ渡ったり、作家活動を辞めたりと多様な道へと進んでいます。

しかし未だに強い反骨精神に満ち溢れていた一派は、

最後の抵抗として大阪万博に照準を定めていました。

 

安保闘争学生運動と共に闘ってきた彼らにとって万博はイデオロギーの塊であり、

米に追従することでベトナム戦争への加担を黙認してきた当時の日本政府を糾弾する

そんな意味でもかなりの反対運動が生まれたのです。

 

 さて丹下から独立した磯崎は大阪万博にてある作家の展示場構成を担当していました。

その作家とは「太陽の塔」をもって万博の顔となった岡本太郎です。

黒を基調とした構成は好評を博します。磯崎はこの時得た経験を活かし、

日本を代表するポストモダニズム建築家として名をはせることになります。 

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↑磯崎が構成した岡本太郎の展示室

 

(かなり恣意的なまとめ方をしたので当然ですが)

模型千円札の制作をめぐって国家の法と芸術を対決させた赤瀬川と、

岡本太郎と協働でイデオロギー装置とも揶揄された万博を完成させた磯崎。

大分の「新世紀群」にて同じ位置にあった二人が、五輪と万博、二つの国家プロジェクトをめぐり異なる立場となっていったことが分かるかと思います。

 

 

 五輪と万博をめぐる表と裏の芸術表現については、記録の面で大きな差があります。

代々木国立競技場や太陽の塔は現在でも見に行くことができますが、

反博作家の作品や活動については、写真すら残っていない事例がほとんどです。

半世紀前の出来事について、現在から遡る際公的な記録映像だけを追うとあたかも

「五輪や万博は誰もがもろ手を挙げて喜んだ」そんな認識になってしまいがちです。

 

2020年に開催される東京オリンピック。芸術の分野においても今後反対運動と

率先して採用される作家との間で軋轢が生まれるのではないかと思います。

恐らく大手のマスコミ等は扱わない反対派の作家たちが何を掲げ、訴えたのか。

それを公的記録に劣らず記憶し伝えていく必要性があるのではないかと感じました。

 

 

※付記※

万博の展示で岡本太郎に磯崎を紹介したのは読売新聞社文化部の海藤日出夫でした。

彼アンパンの発起人でもあり、前衛作家たちを応援していた人物でもあります。

会社員だった海藤はある意味中立にアンパンと万博に接したと言えるかもしれません。

 

彼以外にもアンパンに巣食う前衛作家たちを擁護・評価していた評論家等の人々が、

その後万博についてどのようなスタンスを取ることとなったのか。

当時の多様な人物関係を追うことは知識不足のため出来ませんでしたが、

美術手帳のバックナンバー等を確認すると、彼らの苦悩が分かるのかもと思います。

 

○尚、磯崎と赤瀬川は仲が険悪とかではないですし、磯崎自身ネオ・ダダにかなり深入りしていたようです。今回の記事は ”まあこういう見方もできるよね” ぐらいで読んでいただけるとありがたいです。

 

 

 

 

 

 

水戸備忘録

先日行ってきた水戸のレポです。 

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JRの普通電車で上野から揺られることと2時間。

水戸駅に到着したのは10時頃だったと思います。

 

 

○千波公園周辺

水戸駅から徒歩15分ほどの場所にある千波公園。

その外れに佇むのが茨城県立美術館です。

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翌日から空調工事で一次閉館でしたが、運よく常設展だけ見られました。

 

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展示作品自体は良いものが揃っていたように思いました。

ロビーにはロダンの彫刻も鎮座し、エントランスは広大

特大のガラス窓からは公園内が見渡せます。

でも…お客さんが…いない…

翌日から閉館ということで、片付けられたミュージアムショップ跡などが相まって

何とも静かな空間でした。

 

 

 

 

○市街地に佇む廃墟

公園から市街地に向かって歩いていると異様な雰囲気を放つ建物を発見。

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この角度では見えないけれど、窓が開いてるんですね。

なんとか正面に回れないかと路地に入ると、そこは一目でわかる風俗街。

「いい娘いますよ~」と客引きのおじさん・お兄さんが昼間から元気。

 

そんなお兄さんのうち一人にこのツタアパートについて聞くと

「廃墟探してるんですか?なら、『お城』見て行ったらいいですよ!

と親切にも教えていただきました。

 

更に路地を進み、角を曲がると『お城』が眼前にいきなり現れます。

 

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その名も「クイーンシャトー

1980年にオープン後数か月で潰れたとか、一晩10万円の価格設定だったとか。

様々な噂がある老舗廃墟(そんな言葉があるんですね)らしいです。

 (※古いので廃墟通の間ではかなり有名でもあるとか)

 

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(後ろ側もすごい)

 

直訳シャトー=城ということで「お城」の呼称にも頷けます。

内部の写真はありませんが「クイーンシャトー」で検索すると出てくるのでそちらで。

 

自分が惹かれたのはその位置関係。

風俗街ゆえに治安面は不安がある一方、距離的には水戸駅から徒歩20分ほど

地価もバカにならないはずです。なぜ買い手がつかないのか。

 

japandeep.info

調べていくと、当該地域を扱うこんなサイトが。

これまで観光地のホテルや物産店、喫茶店が廃墟した例はいくつも見てきましたが、

今後全国的に落ち目の風俗店がラインナップに加わるのかもと、感じる一区画でした。

 

 

 

 

水戸芸術館

 遠征の本命。(芸術系の人)誰に聞いても評判の良い博物館施設です。

 

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藤森照信展を見てきました。

東北大から東大の建築科修士を出ているアカデミックな教育を受けた方ですが、

かなり独特の、不思議な形状の建物を設計する建築家です。

また路上観察学会の発起者の一人でもあります。

 

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展示が良かったのもあるでしょうけど、客層が県立美術館とは全く違いました。

子ども連れ親子が多数来館しており、中には赤ちゃんを抱いたお母さんも。

 

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ユーモラスな作品が多いことに加えて、

写真OK、椅子には座ってOK、茶室は入ってOKというので

観覧者の方々が非常にいい表情をしていたのが新鮮でした。

 

こちらの野菜建築なんて一見馬鹿馬鹿しく見えますが、

実際に藤森さんはこの図のバナナのように宙吊りの建築を実践しています。

加えてかつてSFに出てくる近未来都市といえばこんな姿だったことを

ふと思い出させてくれるような、新鮮且つ懐かしい雰囲気を感じました。

 

 

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こちら水戸芸術館のモニュメントです。

正四面体を重ねた構造をしています。これエレベーターで登れるんです!

 

 

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最上階の展望室、足摺海底館っぽいけどかなり綺麗。

 

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眼下には水戸の街並みが。

至れり尽くせりの美術館でした。

 

 

○まとめ

茨城には「東京のベッドタウンでしょ?」という謎の偏見があったんですが

活気があるのに静かで、良い雰囲気の町でした。

今回紹介したほかにも

 

水戸黄門を祀る神社

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街中に位置する閉鎖された商店街

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変な鳥と死んだ魚がいる池(千波湖)

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など、行く先々で様々なものが見れて、歩いていて飽きないのが水戸という町でした。

今回買えなかった企画展図録を回収しに行く際、また他の場所を回ろうと思います。

 

 

 

 

美術評論のわかりにくさ

図書館で借りた江澤健一郎著のジョルジュ・バタイユ入門書にて

マネの「オランピア」が果たした役割を述べている部分がありました。

 

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<エドゥアール・マネオランピア』1863年 オルセー美術館蔵>

 

☆本作は当時のサロン(官展)へ出品され、非難の嵐にあった曰くつきの一作。

・従来神話をモチーフとしない主題で裸体を描くことはタブーとされてきた

・神話と関係ない裸の女性=売春婦を想起させる

・古典的な遠近法などの技法を無視(組んだ足などは従来奥を小さく描くのが普通)

・しかもマネは本作以前にも神話と関係ない裸体作品を出品していた、いわば再犯

 といった理由からだと言われています。

 

 

で、これの評論部分なんですが

 

(以下、江澤健一郎『バタイユ 呪われた思想家』河出ブックス、より引用)

バタイユにとって、マネが破壊した抽象的絵画は、否定性を無効化する体系に導入されて肯定化された否定性である。そしてマネによる主題の供犠は、その肯定化された否定性を破壊して、使い道のない否定性として剥き出しにする操作にほかならない。

 

この文に至るまでに赤字部分について

・従来の権威主義的な絵画は(例えばヴィーナスの誕生のように)

 本来存在しない、非現実的な「神話」をモチーフにしてきた

 ⇒キリスト教的なシンボルを描くことが芸術性と直結するという価値づけにより

  神話を描くことはむしろ喜ばしいことというマネ以前の『肯定された否定性』

 

青字部分について

・マネが『オランピア』で行ったのは、そうした神話を描くことへの疑問であり拒否

 宗教とは別の部分で裸体を描くことは、ポルノ的で当時の価値観から言えば芸術失格

 かつ『オランピア』は一点透視図法など従来の写実表現技法を放棄

 ⇒従来通りの技法で神話を描くこと=保証された芸術性 

  という観念を破壊し、誰にも肯定されない『使い道のない否定性』を生み出した

 

という説明はあるんですが、そのまとめがこの難解な文

「理系は事実をいかに簡略化して捉えるかに力を入れ、

 文系は事実をいかに難解にして捉えるかに力を注ぐ」

みたいなジョークを思い出します。

今回はこの呪文みたいな文言が面白かったのでつい記事にしてしまいました。

 

 

素人が音楽の話を聞いてきた

○講演会に至るまで

ロックバンド『サカナクション』のリーダーを務める山口一郎さん。

彼の講演会があったので参加してきました。

 

サカナクションは去年12月頃、ニコ動のランキングにて初めて知りました。

淫夢MADに端を発したブームは瞬く間に広がり、現在も下火ながら続いています。

グループはこの炎上騒ぎに際し、削除申請等の手続きをほとんど取らなかったようです。

 

そうした判断に首をかしげつつもPV付きでYoutubeに上がっている動画を見て、

TSUTAYAでCDを借り、携帯端末で聴いたりしてここ数か月は楽しんでおりました。

 

そんな中山口さんの講演会があるという通知を受け今回に至ります。

講演会は無料だったこともあり整理券はかなりの倍率でした。

ど新参の自分が拝聴したのは正直申し訳ないと思います。

しかしながら3時間に及ぶお話が非常に面白かったのでまとめることにしました。

 

※注意:山口さんの言葉を再出力する際にかなり変容している可能性があります。

 

 

○音楽を売るということ:PV制作

今音楽業界で最も力を入れているのがミュージックビデオなのだそうです。

なぜなら気になる楽曲を我々がネットで検索した際、真っ先に動画がヒットするから。

大体300万~500万ほどで制作されますが、かなり予算はカツカツ。

よってスタジオの撮影も一日(本当に24時間)かかって行うようです。

 

でも売れるためのロジックが厳格なCMとは違い、

ミュージックビデオはキャスティング等で自由度が高いんだとか。

今回は映像監督の田中氏が

『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』新宝島』について語ってくれました。

 

 

○制作談話(バッハ・新宝島)

 

www.youtube.com

鏡像とは異なる動きをする、4体の人形を棒で動かす、人形と人間が入れ替わる、

本作の演出には音楽界のみならず他分野の人間も驚愕したといいます。

 

この曲について田中さんに与えられたリクエストは「ダンスものがいい」

曲調と「ダンス」の不和に悩んでいる中、

たまたま見かけた”人形を棒で動かす”海外のコメディアンと、楽曲のイメージが合致。

その方向性で一気に制作したということでした。

 

 

www.youtube.com

映画「バクマン」の主題歌としてリリースされた本曲。

まんまドリフの演出とハイテンポで明るい歌詞。

サカナクションが一気にポピュラーになる発端となった一曲です。

自分もこの曲から入りました

 

丸一日使って撮影なので、山口さん最後のシーンは疲れから足がよろけて

何度も撮り直しになったとばつが悪そうに話していました。

一方ピッタリ合っているチアダンサーの皆さんは振付ユニットエアーマンの生徒。

指導が厳しいらしく最後までガッツリ踊っていたそうです。タフ!

 

 

○場を作り上げること:ライブマネージメント

2000年代前半ごろにはCDの大ヒットと言えば数百万枚が相場でした。

しかし今は20万枚いけば大健闘、CDは売れなくなってきているのだとか。

 

一方でライブへの参加者は年々増加傾向にあるようで、

サカナクションも毎回ライブには力を入れています。

 具体的には

☆会場の盛り上がり、盛り下がりを想定した「ダイナミクス」を設定

・それに合わせて照明・レーザー・LED等を使用

・同じく演奏楽曲の選曲・演奏順も吟味

・観客との間に透明な投影幕を下ろすなど、実験的な演出に挑戦

 

など様々な工夫をとくとくと語っていただきました。

繰り返していたのはライブの為に多数の技術者が必要だということ。

照明、音響、スクリーンに投射する映像作成者、楽器の運搬…

綿密な連携あってこそライブは完成するのです。

(その分100人近くが一度に移動することになって、結構赤字とも言ってましたが)

 

○美しく、難しいものを伝える 

サカナクションは既存の楽曲制作だけでなく、

法整備の進んでいないネットでのチケット転売防止

CMだけに対象を絞った15秒~30秒の楽曲作成など

(企業は街中で該当楽曲を聴いたとき商品を想起してもらえるよう

 15秒のCMであっても数分の楽曲制作をリクエストするのが主流なんだとか)

新たな取り組みを多数行おうとしています。

 

団塊ジュニアである山口さんにとって

父親たちが守ってきた風習を変えていこうという強い思いが根底にはあるようです。

 

「分かりやすく、美しいもの」が望まれている最近の映画や音楽に対して

「美しいけれど、難しいもの」をどう伝えていくかが、今後の課題であるとも話していました。

 

 

○ロックバンドの新しい夢

 

 

サカナクションは2017年9月末に幕張メッセで行われるライブにて

音感知式のLEDライトを多数使い「音楽を目で見えるようにする」計画です。

 

sp.sakanaction.jp

 

~かつてアメリカのジャズミュージックは演奏者と観衆の区別が曖昧で、

 時に麻薬を使用した観客らが踊り狂う会場、その全体で一つの音楽を形成していた。

 一方ロックミュージックは舞台という区切りを設けたことで、

 観客はミュージシャンのパフォーマンスに自身の投影し半狂乱に陥らなくなった~

みたいなことを椹木野衣が言っていたように思いますが、

 

サカナクションが目指す方向性からは ”音が見え、光が聞こえる” 

LSD的な要素がロックミュージックの現場から復活したように思いました。

 

 

「音楽を浴びるものじゃなくて、見つけるものにしたい」

山口さんの結びの言葉です。

 

今後サカナクションの歌から自分は何を見つけられるのか、

過去ヒットミュージックが大衆に「何も考えさせない」要素を持ち合わせていたことを

頭に残しつつ、生演奏の『ユリイカ』を聴いて帰ってきました。