美術評論のわかりにくさ
図書館で借りた江澤健一郎著のジョルジュ・バタイユ入門書にて
マネの「オランピア」が果たした役割を述べている部分がありました。
<エドゥアール・マネ『オランピア』1863年 オルセー美術館蔵>
☆本作は当時のサロン(官展)へ出品され、非難の嵐にあった曰くつきの一作。
・従来神話をモチーフとしない主題で裸体を描くことはタブーとされてきた
・神話と関係ない裸の女性=売春婦を想起させる
・古典的な遠近法などの技法を無視(組んだ足などは従来奥を小さく描くのが普通)
・しかもマネは本作以前にも神話と関係ない裸体作品を出品していた、いわば再犯
といった理由からだと言われています。
で、これの評論部分なんですが
(以下、江澤健一郎『バタイユ 呪われた思想家』河出ブックス、より引用)
「バタイユにとって、マネが破壊した抽象的絵画は、否定性を無効化する体系に導入されて肯定化された否定性である。そしてマネによる主題の供犠は、その肯定化された否定性を破壊して、使い道のない否定性として剥き出しにする操作にほかならない。」
この文に至るまでに赤字部分について
・従来の権威主義的な絵画は(例えばヴィーナスの誕生のように)
本来存在しない、非現実的な「神話」をモチーフにしてきた
⇒キリスト教的なシンボルを描くことが芸術性と直結するという価値づけにより
神話を描くことはむしろ喜ばしいことというマネ以前の『肯定された否定性』
青字部分について
・マネが『オランピア』で行ったのは、そうした神話を描くことへの疑問であり拒否
宗教とは別の部分で裸体を描くことは、ポルノ的で当時の価値観から言えば芸術失格
かつ『オランピア』は一点透視図法など従来の写実表現技法を放棄
⇒従来通りの技法で神話を描くこと=保証された芸術性
という観念を破壊し、誰にも肯定されない『使い道のない否定性』を生み出した
という説明はあるんですが、そのまとめがこの難解な文
「理系は事実をいかに簡略化して捉えるかに力を入れ、
文系は事実をいかに難解にして捉えるかに力を注ぐ」
みたいなジョークを思い出します。
今回はこの呪文みたいな文言が面白かったのでつい記事にしてしまいました。