はみ出し日記

Twitterに載らない長文の意見や考えをまとめる際に利用します

メイドインアビスの魅力 探窟家と超人


今回は、アニメ化や新作の映画化決定で、ブームが再燃しつつある、つくしあきひと原作の漫画『メイドインアビス』について、感想を書いていきます。

 

メイドインアビス」については、アニメの本放送時にツイッターで盛んに二次創作が行われたこともあり、断片的に情報を得てはいました。”ナナチ”という名の、人語を解す半人半獣のキャラクターや、”ボ卿”という性格に難があるキャラクターがいること、またナナチが性別不明らしいことなど(かなり偏っていますが)です。

その後ニコニコ動画でアニメの再放送が行われていたことを機に、昨年の秋ごろnetflixでアニメを一気見して引き込まれたというくだりになります。

 

 

f:id:pyroxenehillgate:20190228141322j:plain

性別不明の生物”ナナチ” http://miabyss.com/chara03.html

 

まずは本作のあらすじを公式サイトから引用します。

 

隅々まで探索されつくした世界に、唯一残された秘境の大穴『アビス』。
どこまで続くとも知れない深く巨大なその縦穴には、奇妙奇怪な生物たちが生息し、今の人類では作り得ない貴重な遺物が眠っている。
『アビス』の不可思議に満ちた姿は人々を魅了し、冒険へと駆り立てた。
そうして幾度も大穴に挑戦する冒険者たちは、次第に『探窟家』と呼ばれるようになっていった。
 
アビスの縁に築かれた街『オース』に暮らす孤児のリコは、
いつか母のような偉大な探窟家になり、アビスの謎を解き明かすことを夢見ていた。
そんなある日、リコはアビスを探窟中に、少年の姿をしたロボットを拾い…?

 

という感じで探窟家の女の子「リコ」とロボットの少年「レグ」が『アビス』を探検してゆく物語になっています。

f:id:pyroxenehillgate:20190228143645j:plain

左:レグ 右:リコ

 

さて感想を書いていく前に、物語の根幹をなす『アビス』について重要な二つの設定をご紹介しておきます。

 

1つはアビスを探検・調査する探窟家には、その実力によって階級制が敷かれていることです。実力者であるほど、より深く危険な環境への探査が認可されます。また階級は探窟家各々が持つ笛の色によって明示され、最上級の「白笛」は多大な尊敬を集める存在とされます。リコの母親もこの「白笛」です。

 

2つ目はアビスの呪い「上昇負荷」です。スキューバダイビングにおいて、急激な浮上が死に直結するように、アビスにおいても、上昇することによる身体負荷があります。負荷は深度が上がるにつれ深刻になり、一定深度以下まで降下すると、上昇負荷により死亡します。

f:id:pyroxenehillgate:20190228143337j:plain

アビスの上昇負荷 https://bibi-star.jp/posts/1342

上昇負荷により死亡する可能性がある第6層以降は、先ほどご紹介した「白笛」しか進むことができない取り決めになっています。「白笛」は実力の証であると同時に、放任の印でもあるようです。

 

リコの母親である白笛「ライザ」は、リコが物心つく前に第6層へと降下しています。

 彼女の笛や荷物の一部が地上に引き上げられたことで、リコはアビスの深奥へと向かう決意をすることになります。

 

 

この作品に一通り触れた時、自分は漠然とした恐ろしさを感じました。

それはアビスに潜む獰猛な生物や、上昇負荷によって探窟家が傷つくこと、時に人でないものに変わってしまうことに対する、おぞましさだけではありません。

何より主人公のリコが、最終的に第6層以降へと向かおうとすることに恐怖を感じたのです。

第6層へ降下するということは、もう二度と地上には戻れないという事を指します。

つまり、それまで培ってきた社会的諸要素をすべて捨て去ることになるのです。

f:id:pyroxenehillgate:20190228150346j:plain

「アビスの底」を目指すリコ

友人も家族も、おいしい食事も、アビス以外の知識を吸収する機会も、アビスから離れ全てを忘れる権利も、世の中のありとあらゆる機会を捨てて、アビスと正対するということです。

たしかにリコは母親と幼い時より生き別れになっていたり、特殊な事情でアビスに惹かれやすい体質であったりします。しかしそれでも、自ら社会的な死を目指すというのは常軌を逸しています。

そして6層以降への降下が可能となる「白笛」と、「白笛」への昇格を目指す全ての探窟家も同じく、地上の生活・地上での可能性を全て捨て、アビスへ身を投じることを目指しています。

この点において「メイドインアビス」の登場人物たちが、とてつもなく恐ろしい人々に感じられたのです。

 

 

 

その後、この漠然とした恐ろしさについて言及した書籍と、偶然出会うことになります。

それがドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの代表作『ツァラトゥストラかく語りき』です。

f:id:pyroxenehillgate:20190228151414j:plain

佐々木中訳『ツァラトゥストラはかく語りき』 河出文庫

この序説にてニーチェは、人々を導く絶対的な「神」などもはやおらず、人間の中から人を超える存在「超人」が生まれなければならないと明言します。

(物語は山にこもっていた思想家「ツァラトゥストラ」が、人々に自らの考えを説いて周るところから始まります。故に以下の語り手はツァラトゥストラです。)

 

わたしは愛する。没落する者としてしか生きることができない者たちを。それは、彼方へと向かおうとする者たちだからだ。
わたしは愛する。大いなる軽蔑者を。彼らは大いなる尊敬者であって、かなたの岸への憧れの矢だからだ。
私は愛する。没落を余儀なくされ犠牲となっても、まずその根拠を星空の彼方にもとめるなどということをしない者たちを。彼らは、いつか大地が超人のものになるようにと、みずからを大地に捧げる者たちである。
ツァラトゥストラの序説・四より)

 

 

そして「超人」の対極に位置する「最後の人間」も、同時にそこでは示すのです。

 
 
人はみずからのなかに混沌を持っていなくてはならない、舞踏する星を産むことができるためには。…何という事だ。人間がもはやどんな星をも産みださなくなるときが来る。
もっとも軽蔑すべき人間の時代が来る。もはやみずからを軽蔑することができない人間の時代が。見よ。わたしは諸君にこの最後の人間を示そう。…

 

『僕らは幸福を発明した』ー最後の人間はそう言って、まばたきする。
彼らは生きるに苦しい土地を見捨てる。温もりが要るから。
やはり隣人を愛し、その身をこすりつける。温もりが要るから。
病気になること、不信をいだくことは、彼らにとっては罪である。
用心してゆっくりあるく。石に躓いても、人に躓いても、そいつは世間知らずの阿呆だ。
 
ときどきわずかな毒を飲む。心地よい夢が見られるから。
そして最後には多くの毒を。そして心地よく死んでいく。
働きもする。労働はなぐさめになるから。
しかしなぐさめが過ぎて、身体をこわさないように気づかう。
もはや貧しくも、豊かにもならない。どちらにせよ面倒なことだ。
今更誰が統治しようとするか。今更誰が服従しようとするか。どちらにせよ面倒なことだ。…
 
彼らは悧巧で、世間で起きることなら何でも知っている。
だから彼らの嘲笑の種は尽きない。口げんかくらいはする。だがまもなく仲直りする。
-そうしないと胃に悪いから。
小さな昼の快楽、小さな夜の快楽をもっている。だが健康が第一だ。
『僕らは幸福を発明した』ー最後の人間はそう言って、まばたきする。
ツァラトゥストラの序説・五より)

 

ツァラトゥストラのいう「超人」はまさしくメイドインアビスにおける、主人公リコや白笛の人々に合致します。そして「最後の人間」、はアビスに挑まない人々であると同時に、白笛らについて”常軌を逸している”と感じてしまう自分や大多数の読者、つまり我々であると言えます。

 

 

「超人」の存在は、「最後の人間」たちにとって”幸福”を乱す忌むべき存在です。

そのため「ツァラトゥストラかく語りき」の中でも、人々は「超人」について説くツァラトゥストラをあざ笑い、その存在について真面目に取り合おうとしません。

実際の世界においても、既存の規範・戒律・価値観を破壊してしまう「超人」のような存在は爪弾きにされることが常でしょう。

 

一方メイドインアビスにおいては、そうなっていません。白笛は人々の憧れの存在であり、彼ら「超人」の存在が中心となって世界や物語は展開されています。「アビス」という窓口を通じて、誰しもが「超人」になることができるかのように描かれていることは、メイドインアビスの世界観がもたらす最も巧妙な点であると同時に、フィクション”らしい”点だといえるでしょう。

 

ナナチに代表されるように、この作品は、アビスの影響を受けた特徴的なキャラクターなどの造形方面に目を奪われがちです。しかしわれわれ「最後の人間」が最も嫌う「超人」をベースに据えている世界観こそ、読者を魅了する強烈な歪みなのだと思います。